かぼちゃのマフィン

DSC_4830

2015年11月23日のてしごと、「かぼちゃのマフィン」。

私のてしごとにはおそらく幾つかのパターンがあると思われる。

毎シーズンごとに作るもの、

作ってみたくて作るもの、

作る必要性があって作るもの。

 

この「かぼちゃのマフィン」は作る必要性があったから作ったものだ。

冷凍庫に保存していた食パンがなくなり、

明日からの朝ごはんに何を食べようかな?と思いあぐねていた。

食パンは水曜日に生協から届けられるから、

できれば買わずに済ませたい。

どうしようかな?と冷蔵庫を覗いてみると、

マフィンに入れるのにちょうどいいくらいのかぼちゃが残っていた。

「そうね、明日からの朝ごはんはかぼちゃのマフィンにしようかしら。」と。

 

私のてしごとは、大抵そんな感じで進んで行く。

だから続けられる。

だからこそ続いている。

みかんのジャム

DSC_4840

2015年11月22日のてしごと、「みかんのジャム」。

このレシピは2年前から持っていたのだけど、なぜか作ろうとは思えなかった。

というのも、以前ポンカンでマーマレードを作ったとき、ものすごく苦く仕上がってしまった。薄皮を剥かなかったからか、皮の白い部分を取りきれなかったからか……。原因はいろいろ考えられるのだが、それからというもの薄皮の薄い柑橘類でジャムを作ろうとは思わなくなってしまったのだ。毎年みかんの時期になるたびに、今年こそは作ってみよう!とレシピを引っ張り出すのだが、やはり触手が動かない。トラウマになってしまったのだろう。

けれども、今シーズンは自然と作ってみようという気持ちが身体のなかから湧き出してきた。このタイミングを逃すことはないなと思い、身構えずにチャレンジしてみた。

ジャムというよりソースみたいな仕上がり、濃厚で、甘酸っぱい。そしてポンカンで作ったときのあの苦味は全くと言っていいほどない。一体あの苦味はなんだったのだろうか?

たっぷりとヨーグルトに注いで食べる。

私は一つのトラウマから脱することができ、そして新しい味を作る喜びを手に入れた。

 

 

かぼちゃのマフィン

dsc_4823

2015年11月8日のてしごと、「かぼちゃのマフィン」。

大好きなかぼちゃ「くり将軍」が手に入ったので、

まずはなにか焼き菓子を焼かないと!と思い、

マフィンを焼くことにした。

「くり将軍」はどちらかというとほくほくした食感で、

水分も少なく、焼き菓子向けのかぼちゃだと私は思っている。

 

マフィンは朝ごはんに食べることが多い。

普段はそんなに甘くすることはないのだが、

このころは疲れていたのか、珍しくイライラしていたのか、

無性に甘いものが欲しかった。

けれども砂糖を多くすることがピンとこなかったので、

普段は使用しないラム酒を少し落としてみることにした。

 

食べる直前に少しトースターで温めたから食べる。

ふわりとラム酒が香る。

そうそう、私が欲していたのはこの甘さ。

欲しているものを食べられたことで、

私の中にあった疲れ等もろもろは

あっという間に消えさった。

レモンのマーマレード

dsc_4800

2015年11月2日のてしごと、「レモンのマーマレード」。

言われてみれば、レモンもなぜかいつもマーマレードに仕立ててしまう。

塩レモンとか、はちみつ漬け、コンフィ……。

レモンを使ったレシピは色々あるけれども、

青い皮のレモンが手に入ったら、それは必ずマーマレードになる。

それは私の中の絶対的なルールであり、

変わることがないことないと思われる。

それくらいにこのレモンの、それも青いレモンのマーマレードは、

私の暮らしに定着しており、なくてはならないものなのだろう。

ただ心の中のどこかに、

いつかコンフィを作ってみたいという願望がある。

それがこの青いレモンの出回っている時期に最も強くなるのか、

それとも今シーズン中なのか、

はたまたシーズンを超え、まだ見ぬシーズンにやってくるのか。

その時を今から実は心待ちにしている私がいる。

りんごのコンポート

dsc_4780

2015年11月2日のてしごと、「りんごのコンポート」。

結局、りんごのコンポートを作るために必要な洋酒は、

角切りりんごのコンポートを作った夕方に買ってきた。

角切りりんごのコンポートが上手くいったので、

違うレシピを試してみたくてしょうがなかったのだと思う。

てしごとには時としてこういう勢いが必要なのだ。

角切りりんごのコンポートの違いはなに?と聞かれたら、

洋酒を入れること(今回はブランデーを利用)と答えるのではなく、

りんごを煮込む際にレモンの皮を入れることだと答えるだろう。

他にも違いが何点かあるのだが、

食したのちはやはりこの答えに、

私自身が一番納得しているからだ。

それぐらいレモンの味と匂いがりんごに、シロップに染み渡っている。

それもりんごの味を損なうことなく、いい塩梅に効いているのだ。

後味にふわっと残るレモンの香り。

たまらない。

角切りりんごのコンポートに比べると、味が複雑なため、

ヨーグルトではなく、バニラアイスを添えてみた。

真冬に暖かい部屋の中で、

きんきんに冷えたりんごのコンポートを食べたら幸せだろうな。

晩秋の午後、ちょっと先の未来に思いを馳せた。

角切りりんごのコンポート

dsc_4777

2015年10月31日のてしごと、「角切りりんごのコンポート」。

りんごのてしごとはジャムしかしないけれども、

何か違うものも作ってみたい!と思ったとたんに、

このレシピが真っ先に目の中にぽんと飛び込んできた。

何度となくこのページをめくっているはずなのに、

興味がないときは全く目に入らず、

興味が出たとたんに私の中の何かが引っかかる。

アンテナを張るということは、きっとこういうことなのだと思う。

レシピでは甘味はグラニュー糖でつけることになっていたが、

もっと甘味を優しくしたいと思い、メープルシロップに変えた。

思った通りの出来上がり、ヨーグルトに添えるのもいいけれど、

ホットケーキの中に練りこんで焼いてもいいと思った。

りんごの世界が広がり始める。

おもしろい。

このレシピの隣には、洋酒を使ったコンポートのレシピも掲載されていた。

うちには洋酒というものが常備されていないため、

まだそのページを眺めているだけだが、

おそらく、いや、確実に洋酒を買ってきて、

そのコンポートを作る日もそう遠くないはずだ。

ふわふわベレー帽

dsc_4755

2015年10月26日のてしごと、「ふわふわベレー」。

つま先から編む靴下が完成して以来、編物熱は復活したが、自分でデザインしたものを編むまでには行かず。

そのリハビリとして、「こんな糸で編んでみたい」からの作品を編み終えた。

この帽子は、このベレー帽を編むために毛糸を一緒に買った

縫いもので生計を立てている友人の元に行くことになっている。

彼女とこの毛糸を買ったのは、2014年12月31日。

急に会うことが決まり、お昼ごはんを一緒に食べた。

手を動かすことの楽しさを語りながら食べたとんかつとシャンパンは、

今でも記憶に残っており、昨年を締めくくるのにふさわしい昼ごはんだった。

別れ際に来年、つまり今年はどんな年にしたいか?とお互い語り合った。

私はその質問に対し、こんな風に答えたと覚えている。

「海の底で沈んでいたけれど、もがきながら、海面の光を求めて上へ上へと泳いでいくイメージ。

最後にはその光を掴むために海面から顔を出し、新しい世界をみている」と。

それは朔日冬至にわが家にやってきた写真にとてもよく似た答えだった。

青を基調に、横たわる女の人と、水面、そしてそこを照らす黄金の光。

私はその作品にとても強い聖性を感じ、買い求めたのだった。

あれから10ヶ月が過ぎ去り、今年も残すところあと2ヶ月あまりとなった。

さて、私は彼女に話したように、海面を目指し、泳ぎ続けているのだろうか?

途中でもがき苦しんでいるのだろうか?

そして、海面の、その先にある光をつかめるのか?

その答えは神だけが知っている。

紅玉のジャム

dsc_4751

2015年10月24日のてしごと、「紅玉のジャム」。

今年もりんごのシーズンがやってきた。

毎シーズン私は、年内は紅玉、年明けはふじを使って、

てしごと、といってもジャムだけだが、をしている。

毎シーズンは他のものにもチャレンジしたいと思っているのだが、

果たしてジャム作りの楽しさを超えるものがあるのだろうか?と

なかなかそのラインを飛び越えられない。

ただ飛び越えられないと枠にはめてしまっているのは私自身なので、

飛び越えたいと思っているのなら、やはり飛び越えるべきだし、飛び越えられると思っている。

これは今シーズンこのラインを飛び越えることは、私の課題となっているのかもしれない。

と、ここまで書いていてなんなのだが、

やはり今シーズン初のりんごを扱うてしごとは、

ジャムを作ることを迷わず選択した。

紅玉はふじに比べ水分が多いため、煮る時間が短く済むので、気軽に扱えるのがいい。

また紅玉だけがもつ酸味は野性味にあふれていて、

私を引きつけてやまない。

そして皮の色。

紅玉でジャムを作る時は必ず皮を入れて煮詰め、

ほのかな赤色を着色する。

これは私の中の決まりごとであって、

例えば皮を入れないというラインを飛び越えることは、

おそらくないだろう。

変えられないものを受け入れることと変えられるものを変えることと。

この二つのことのバランスをうまくとりながら、

私はこれからもてしごとと付き合っていくのだ、と思う。

dsc_4747

マルメロのジャム

  dsc_4738

2015年10月13日のてしごと、「マルメロのジャム」。

10月の初めの僅かな間出回るマルメロ、見つけると必ず購入してしまうのは一体何故なのだろうか?

説明書きによると、マルメロは生では食べられず、加熱してようやく口に入れることができる。

そうしてまで食べたいという気持ちは一体どこから湧き上がってくるのだろうか?

dsc_4721

おがくずがついたような表皮、フォルムはまるで洋梨のよう。

包丁をいれるが、ものすごく硬く、上から押し付けるように二つに割ると、

水気のない白い果肉が現れる。

皮をむいて芯をとり、イチョウ形に切る。

切れ味はまるでりんごのよう。

dsc_4728

とろみをつけるため、まずは芯を煮る。

煮汁の匂いは、どこかで嗅いだことがあるが、洋梨でもりんごでもない。

あぁ、栗だ、茹で上がった栗の匂いのよう。

けれども出来上がったジャムは、

洋梨でもなく、りんごでもなく、もちろん栗でもない。

やはりマルメロのジャムなのだ。

思っていたよりかたいできあがりになってしまったので、

ホットケーキやパウンドケーキのフィリングとして食べようと思う。

そういえば、友人たちにマルメロの絵を描き続けた画家の話『マルメロの陽光』という映画を教えてもらった。

監督は『ミツバチのささやき』のヴィクトル・エリセ。

機会があったら観てみようと思う。

もしかしたらその映画の中に、私がマルメロに惹かれる理由が

ひっそりと隠されているかもしれない。

甘夏のパウンドケーキ

dsc_4724

2015年10月10日のてしごと、「甘夏のパウンドケーキ」。

次の日からお世話になるおうちへのプレゼントにと、

パウンドケーキを久しぶりに焼いた。

あまりにも久しぶりに焼いたせいか、

手際が悪すぎて無駄な動きが多く、

いままでならスムーズにできていたところで、

なぜそこで?というところでつまづき、

あぁ、何をやっているのだろうと思ったことが多々あった。

唯一の救いは、味に響くことがなかったことか……。

不器用な私は、何事もやり続けることでしか上達できない。

作り続けること、書き続けること、そして撮り続けること。

いつの日か私がやり続けたことが溶け合って、

何かしらの形になればいいと思う。

幸いなことに長く続けることは得意だし、

うまくなりたいという気持ちがある。

そのために今の私にできることといったら、

やはりやり続けることしかないのだ。

ただひたすらにそう信じ、

五感を目一杯働かせ、

手を動かし続けよう。