柔らかい雨降る朝の日

柔らかい雨降る朝の日、私の在宅勤務は始まった。

ノートブックに今日のタスクを書きだし、定時にパソコンを立ち上げる。昨晩自身のパソコンで作業できるようにブラウザで設定したのだが、そのブラウザだと使いたい機能が使えない、使いたい機能が使えるブラウザで設定しようとすると今度はログインできず設定ができない。どうしたものかとシステムグループに問合せのメールを書く。会社からパソコンは借りていきているのだが、使い慣れていないため扱いずらいのだ。次に北京の同僚へ年度末の会計処理の進め方をすり合わせる。昨日、今日から在宅勤務になるという知らせを彼女にしたらとても喜んでくれた。当たり前だ、彼女は早く東京本部も在宅になるように願ってくれていたからだ。マスクを必ずしなさい、人混みは避けなさい、満員電車を避けなさい。いい?中国は都市を封鎖したけれども、それは経済発展よりも人命を守るという政府からの意思表示なの、それくらいこのウィルスは未知で恐ろしいものなのだから。メールを送るたびに心配する言葉が添えられていた。お互い励ましあって乗り切りましょう。昨日のメールの最後はこんな言葉で締めくくられていた。公表する資料をウェブにアップし、パリの後輩に資料を送った。いつもやっている作業にも関わらず、いつも以上に時間がかかり、あっという間に時間が過ぎていく。出来ることだけすればいい。そう自分に言い聞かせ、ゆったりと呼吸をしてお昼休みにした。

午後、ようやく自分のパソコンで作業ができるようになった!万歳、これでだいぶ効率が良くなるはず。15時からのオンライン&電話会議に向け、準備を進める。2月末までは週1回会議室に集まって行なっていたのが嘘のようだ。グループのメンバーはビデオで、そのうちの一人のパソコンとスピーカーをつなぎ社外の人とは電話会議。世の中本当に便利になったものだ。資料を送った方から1通のメール、ダウンロードしたもののファイルが文字化けして何が何だかわからない。自分のパソコンでチェックした時は何の問題もなかったのに……。急いで資料ファイルを取りまとめ再送する。会議開始5分前。間に合ってよかった。会議が始まる。通常私は出なくていいのだがせっかくの機会なので、参加することにする。同僚からチャット、タイプ音と音楽が聞こえているのでマイクはミュートにした方が良いと。やってしまった。スピーカー、パソコンから離れているのに音を拾うのかと逆に驚いた。タイプ音はワシントンにある需要者団体との来期の支払いについてメールのやり取りをしていたからだ。こんな状況だし、来期は紙ベースではなくPDFファイルで契約書も請求書も取り交わすことにした。新しい契約書を送る時在宅勤務がちょうど決まり、支払いが遅くなるかもと伝えていた。今日その返事が届き、こんな状況だし心配しなくて大丈夫とのことだった。在宅勤務期間を伝え、このままなら着金日はこの日になると連絡した。ここ最近彼とのメールの結びはi pray for you, your family, your friends and your colleagues. 毎回この文章、でも書かずにはいられない。メールでのやり取りしかしたことがないが、こういう風に祈ることができる人がいることはとても幸せだ。そうこうしているうちに会議が終わる。最後、グループのメンバーと打ち合わせる。顔を見て話をしたらほっとした。好きでも嫌いでもない。けれどもこの人たちは私の日常なのだ。その日常が在宅勤務となったことで急に引き離されてしまい、気づかないうちに私は不安を抱え、今日一日を終えようとしていたのだった。仕事が捗らない理由もここにあったのかもしれない。それがわかったことで安心し、私はパソコンを閉じた。

夜、明日の朝に食べるケーキを焼いた。全粒粉とドライフルーツ、そしてナッツの入った滋養溢れるケーキを焼いた。今部屋はその匂いで満たされている。

 

 

 

喪失から慕情へ

友人の作ったレモンを使ってマーマレードを作った。ジャム類を作るのは久しぶりで、手順を忘れているかと思ったら、思いの外身体が覚えていた。必要なグラム数、どのくらい煮詰めればいいのか、その時の状態を確認しながら作業を進める。柑橘類は煮詰める時間を見極めるのが難しい。足りないと緩すぎてソースみたいになるし、煮詰めすぎるとピールのよう固くなる。ここだという瞬間で火を止め、冷めるのをじっと待つ。しばらくたってから蓋を開ける。マーマレードはゼリーのように緩く固まっていた。いい塩梅、思わず顔がにやっと笑う。

こまごまとしたことをやることが私の暮らしの一部だったが、父が亡くなってからというものすっかり遠ざかっていた。最初は全くやる気も起きなかった。少し時間が経つとやろうかなと思たりもしたが、なかなか手をつけられず、やらずじまいだった。それがようやくここ最近になって再び暮らしの中に取り戻し始めている。もしかしたらそれは、父を亡くしたという喪失がようやく癒え、懐かしく、そしてようやく父と過ごした日々を愛しく思えるようになったからなのかもしれない。

美しいと思うものを。

私が美しいと思うものを私は表に出していくから、

あなたが美しいと思うものをあなたは表に出して欲しい。

私とあなたは違うから、

私の思う美しさとあなたの思う美しさは違っていていいのだ。

 

私はその違いをあなたと語り合いたい。

そして私はその違いを大事にしていきたい。

le20.01.2020

新しい友だちができた。

彼は信号も橋もない島で

農と人をつなげることを生業としている。

快速船に乗り一つ隣の島に行けば

彼を紹介してくれたゲストハウスを営む友人たちが住んでいて

その島から橋を渡り一つ隣の島に行けば

ゲストハウスを紹介してくれた友人が住んでいる。

その島には商船学校があって

会ったことのない大伯父が戦前通っていた。

彼から島の早生みかんを購入した。

小さくて酸っぱくてそして甘かった。

中身が美味しいといわずもがな皮も美しい。

もったいなくて捨てられず

乾燥させて手元にあったタイの手紬糸を染めた。

染液は早生みかんの皮そのものの色だったのに

糸は爽やかな黄色に染まった。

そしてその糸を使って私は小さな布を織りあげた。

誰かの手が作ったものが

何かの縁で私の元に集まり

その集まったものを使って私は作品を作る。

私はその行為をこれからも暮らしの営みの中に取り込んでいく。

しまなみより早生みかん

le03.09.2018

昨年、友人に分けてもらった柏葉紫陽花。花が終わったら直植えにしようと思っていたのだが、あまりの暑さにやる気が全く起きず、綺麗な枯紫陽花となってしまった。もう少し涼しくなってからやろう。くれぐれも寒いからやらない、ということにならないように。自戒の念を込めて。

そういえば5月、台湾に行ったのだが、いたるところに蓮の花が咲いていて、今シーズンは蓮をまた育てようと意気込んでいたのだが、この気持ちも暑さで吹っ飛んでしまった。来シーズンこそ必ず育てる。決意表明をここにする。

 

le20.08.2018

教会の納涼会でヨーヨー釣りをした。ヨーヨー釣りなんて何十年ぶりだろう?試しては破れ、試しては破れ。やっと釣れた時にはとても嬉しかった。

ただ昔も今も変わらないのは、この釣り果を持て余してしまうこと。この先どうしようか?と考えるものの、なかなか妙案が浮かばない。そういえばこの持て余す気持ちが嫌でこういうことをやらなくなったんだっけ。ヨーヨー釣りひ然り、金魚釣り然り。

le14.08.2018

大伯母から手紙が届いたのでお礼の電話をかけようと思っていたら、まさかのタイミングで大伯母から電話がかかってきた。その話を電話越しにすると、そういうことってあるわよねぇ、以心伝心ね、と笑っていた。疲れてた心と身体が一瞬にしてゆるんだ。

大切な人の声は私を元気にする。私も誰かにとってそういう存在でありたいと願いながら眠りにつくとする。

le13.08.2018

まとわりつく湿り気のせいか、この時期だからか。初めて訪れた島はなぜだか『海辺の生と死』を思い起こさせた。そしていつか私が奄美大島に行くことを予感させるような夏の旅だった。

「会いたい人には必ず会える」

グループ展の芳名帳に懐かしい名前があった。
彼女は2年前にガーナで出会った日本人男性と結婚し、シエラレオネという国で暮らしていた。アフリカとは全く縁のない私だが、彼女のおかげで少しアフリカのこと、シエラレオネのことを学ぶことができた。その彼女の名前が芳名帳にあったのだ。驚かないわけがない。
芳名帳にはコメントがついていた。東京には短い間しか滞在しないこと、このあとはアフリカに帰るのではなく、だんなさまの実家で暮らすということ。そして最後に会えてよかったとつづられていた。いてもたってもいられなくなった私は、彼女に展示を観てくれてありがとうと早速メッセージを送った。
彼女からの返事はすぐに帰ってきた。SNSからすっかり遠ざかっていた彼女は、私が展示を行っているとは全く知らなかった。けれども、これから生まれてくる命のために(そう、彼女は妊娠もしていたのだ!)撮り続けるだろう写真をどうやってまとめようかと思い、偶然にも展示会場の下にある写真屋さんを訪れたのだった。「会いたい人には必ず会える」。そう結んでくれた彼女のメッセージを読むたびに、会いたかったなぁと思う寂しい気持ちや、元気でよかったと思う嬉しい気持ち、母になるのかぁと驚きの気持ちが交互にやってきた。彼女の幸せを祈らずにはいられなかった。
「会いたい人には必ず会える」、いつか私は彼女とどこかで出会うのだろう。その日が今から楽しみでたまらない。

細川亜衣著『野菜』

2週間にわたった修了展が昨日終了した。あっという間だったなと思うと同時に、これでようやく一休みできるとほっとしている。これから来年末の個展までひっそりと潜んで作品を作ろうと考えているところだ。
今回の展示は、これからは食べ物や料理をモチーフに作品を作っていくと決意表明となるよう構成した。そんな記念すべき展示を多くの方が観てくださり、また気にかけてくださったことをとても嬉しく思っている。この場を借りてお礼を申し上げます。どうもありがとうございました。
帰り道、個展会場である古本屋さんに顔をだし、次の個展はこういうものを飾りたいのだけどと今回の作品の中から1点、一番気に入っているものをみてもらった。「うん、いいんじゃない?」と言ってもらい、嬉しかった。「今度は文章も一緒に展示してみたら?」と提案され、ちょっとその場で考えた。脳裏に浮かんだのは、細川亜衣さんの「スープ」という本だった。小説のように流れるレシピとエッセイ、そして在本彌生さんがハッセルブラッドで撮影した写真。料理本とは思えない、ざらつきのある紙で作られた本。あとはいろいろな方の献立日記。細川さんはもちろん、沢村さん、茨木さん。高山さんもそれに近いかもしれない。
例えば私の献立日記を展示するのはどうだろう?ノートブックをそのまま置くのもありだ。この文章のような軽い読み物みたいなものがあってもいい。写真とはなれすぎないようなものと、思いっきりはなしたものと。そんなことを考えながら、家路についた。
古本屋で細川亜衣著『野菜』を購入した。「次は『野菜』なのよ」と綺麗にほほえんでいる彌生さんがふっとよみがえった。そういえば、フィルムで食べ物や料理の写真を撮ってみようと思ったきっかけは、彌生さんの『スープ』の写真だったけ。大丈夫、私が進んでいく方向はこれでいい。