グラノーラ

DSC_4846.JPG

2015年12月10日のてしごと、「グラノーラ」。

食べたい、作りたい、作ろうと思っていたのだが、

材料のドライフルーツが使い切ってしまっていて常備されておらず、

そしてそういう時に限って買い物に行くのがものすごく面倒で、

ついつい後回しになっていた。

ボーナスも出たことだし、ここはひとつ、買い物に行こう!と

意を決して(?)中に入れたいドライフルーツを買いにいったのが9日、

それからの歩みは思っていた通りというか、予想通り早かった。

それにしてもなんであんなに買い物を面倒くさく思ったのだろうか?

それは今での謎のひとつだ。

 

グラノーラはめちゃくちゃテンションが上がるてしごとだ。

おそらくそれは、ほぼ全ての工程を手を使って行っているからではないかと思う。

叩く、混ぜる、そして切る。

手を通して素材の力が私の体内に入り、身体中のどこもかしこも狂喜乱舞する。

それは静かな血沸き肉踊る体験、

私はこの体験を得たいがためにグラノーラを作り続けているのではないだろうか?

かぼちゃのマフィン

DSC_4830

2015年11月23日のてしごと、「かぼちゃのマフィン」。

私のてしごとにはおそらく幾つかのパターンがあると思われる。

毎シーズンごとに作るもの、

作ってみたくて作るもの、

作る必要性があって作るもの。

 

この「かぼちゃのマフィン」は作る必要性があったから作ったものだ。

冷凍庫に保存していた食パンがなくなり、

明日からの朝ごはんに何を食べようかな?と思いあぐねていた。

食パンは水曜日に生協から届けられるから、

できれば買わずに済ませたい。

どうしようかな?と冷蔵庫を覗いてみると、

マフィンに入れるのにちょうどいいくらいのかぼちゃが残っていた。

「そうね、明日からの朝ごはんはかぼちゃのマフィンにしようかしら。」と。

 

私のてしごとは、大抵そんな感じで進んで行く。

だから続けられる。

だからこそ続いている。

みかんのジャム

DSC_4840

2015年11月22日のてしごと、「みかんのジャム」。

このレシピは2年前から持っていたのだけど、なぜか作ろうとは思えなかった。

というのも、以前ポンカンでマーマレードを作ったとき、ものすごく苦く仕上がってしまった。薄皮を剥かなかったからか、皮の白い部分を取りきれなかったからか……。原因はいろいろ考えられるのだが、それからというもの薄皮の薄い柑橘類でジャムを作ろうとは思わなくなってしまったのだ。毎年みかんの時期になるたびに、今年こそは作ってみよう!とレシピを引っ張り出すのだが、やはり触手が動かない。トラウマになってしまったのだろう。

けれども、今シーズンは自然と作ってみようという気持ちが身体のなかから湧き出してきた。このタイミングを逃すことはないなと思い、身構えずにチャレンジしてみた。

ジャムというよりソースみたいな仕上がり、濃厚で、甘酸っぱい。そしてポンカンで作ったときのあの苦味は全くと言っていいほどない。一体あの苦味はなんだったのだろうか?

たっぷりとヨーグルトに注いで食べる。

私は一つのトラウマから脱することができ、そして新しい味を作る喜びを手に入れた。

 

 

かぼちゃのマフィン

dsc_4823

2015年11月8日のてしごと、「かぼちゃのマフィン」。

大好きなかぼちゃ「くり将軍」が手に入ったので、

まずはなにか焼き菓子を焼かないと!と思い、

マフィンを焼くことにした。

「くり将軍」はどちらかというとほくほくした食感で、

水分も少なく、焼き菓子向けのかぼちゃだと私は思っている。

 

マフィンは朝ごはんに食べることが多い。

普段はそんなに甘くすることはないのだが、

このころは疲れていたのか、珍しくイライラしていたのか、

無性に甘いものが欲しかった。

けれども砂糖を多くすることがピンとこなかったので、

普段は使用しないラム酒を少し落としてみることにした。

 

食べる直前に少しトースターで温めたから食べる。

ふわりとラム酒が香る。

そうそう、私が欲していたのはこの甘さ。

欲しているものを食べられたことで、

私の中にあった疲れ等もろもろは

あっという間に消えさった。

レモンのマーマレード

dsc_4800

2015年11月2日のてしごと、「レモンのマーマレード」。

言われてみれば、レモンもなぜかいつもマーマレードに仕立ててしまう。

塩レモンとか、はちみつ漬け、コンフィ……。

レモンを使ったレシピは色々あるけれども、

青い皮のレモンが手に入ったら、それは必ずマーマレードになる。

それは私の中の絶対的なルールであり、

変わることがないことないと思われる。

それくらいにこのレモンの、それも青いレモンのマーマレードは、

私の暮らしに定着しており、なくてはならないものなのだろう。

ただ心の中のどこかに、

いつかコンフィを作ってみたいという願望がある。

それがこの青いレモンの出回っている時期に最も強くなるのか、

それとも今シーズン中なのか、

はたまたシーズンを超え、まだ見ぬシーズンにやってくるのか。

その時を今から実は心待ちにしている私がいる。

りんごのコンポート

dsc_4780

2015年11月2日のてしごと、「りんごのコンポート」。

結局、りんごのコンポートを作るために必要な洋酒は、

角切りりんごのコンポートを作った夕方に買ってきた。

角切りりんごのコンポートが上手くいったので、

違うレシピを試してみたくてしょうがなかったのだと思う。

てしごとには時としてこういう勢いが必要なのだ。

角切りりんごのコンポートの違いはなに?と聞かれたら、

洋酒を入れること(今回はブランデーを利用)と答えるのではなく、

りんごを煮込む際にレモンの皮を入れることだと答えるだろう。

他にも違いが何点かあるのだが、

食したのちはやはりこの答えに、

私自身が一番納得しているからだ。

それぐらいレモンの味と匂いがりんごに、シロップに染み渡っている。

それもりんごの味を損なうことなく、いい塩梅に効いているのだ。

後味にふわっと残るレモンの香り。

たまらない。

角切りりんごのコンポートに比べると、味が複雑なため、

ヨーグルトではなく、バニラアイスを添えてみた。

真冬に暖かい部屋の中で、

きんきんに冷えたりんごのコンポートを食べたら幸せだろうな。

晩秋の午後、ちょっと先の未来に思いを馳せた。

角切りりんごのコンポート

【きょうもていねいに。】角切りりんごのコンポート

DSC_4777

2015年10月31日のてしごと、「角切りりんごのコンポート」。 りんごのてしごとはジャムしかしないけれども、 何か違うものも作ってみたい!と思ったとたんに、 このレシピが真っ先に目の中にぽんと飛び込んできた。 何度となくこのページをめくっているはずなのに、 興味がないときは全く目に入らず、 興味が出たとたんに私の中の何かが引っかかる。 アンテナを張るということは、きっとこういうことなのだと思う。 レシピでは甘味はグラニュー糖でつけることになっていたが、 もっと甘味を優しくしたいと思い、メープルシロップに変えた。 思った通りの出来上がり、ヨーグルトに添えるのもいいけれど、 ホットケーキの中に練りこんで焼いてもいいと思った。 りんごの世界が広がり始める。 おもしろい。 このレシピの隣には、洋酒を使ったコンポートのレシピも掲載されていた。 うちには洋酒というものが常備されていないため、…

View On WordPress

角切りりんごのコンポート

dsc_4777

2015年10月31日のてしごと、「角切りりんごのコンポート」。

りんごのてしごとはジャムしかしないけれども、

何か違うものも作ってみたい!と思ったとたんに、

このレシピが真っ先に目の中にぽんと飛び込んできた。

何度となくこのページをめくっているはずなのに、

興味がないときは全く目に入らず、

興味が出たとたんに私の中の何かが引っかかる。

アンテナを張るということは、きっとこういうことなのだと思う。

レシピでは甘味はグラニュー糖でつけることになっていたが、

もっと甘味を優しくしたいと思い、メープルシロップに変えた。

思った通りの出来上がり、ヨーグルトに添えるのもいいけれど、

ホットケーキの中に練りこんで焼いてもいいと思った。

りんごの世界が広がり始める。

おもしろい。

このレシピの隣には、洋酒を使ったコンポートのレシピも掲載されていた。

うちには洋酒というものが常備されていないため、

まだそのページを眺めているだけだが、

おそらく、いや、確実に洋酒を買ってきて、

そのコンポートを作る日もそう遠くないはずだ。

ふわふわベレー帽

【きょうもていねいに。】ふわふわベレー帽

DSC_4755

2015年10月26日のてしごと、「ふわふわベレー」。 つま先から編む靴下が完成して以来、編物熱は復活したが、自分でデザインしたものを編むまでには行かず。 そのリハビリとして、「こんな糸で編んでみたい」からの作品を編み終えた。 この帽子は、このベレー帽を編むために毛糸を一緒に買った 縫いもので生計を立てている友人の元に行くことになっている。 彼女とこの毛糸を買ったのは、2014年12月31日。 急に会うことが決まり、お昼ごはんを一緒に食べた。 手を動かすことの楽しさを語りながら食べたとんかつとシャンパンは、 今でも記憶に残っており、昨年を締めくくるのにふさわしい昼ごはんだった。 別れ際に来年、つまり今年はどんな年にしたいか?とお互い語り合った。 私はその質問に対し、こんな風に答えたと覚えている。 「海の底で沈んでいたけれど、もがきながら、海面の光を求めて上へ上へと泳いでいくイメージ。…

View On WordPress

ふわふわベレー帽

dsc_4755

2015年10月26日のてしごと、「ふわふわベレー」。

つま先から編む靴下が完成して以来、編物熱は復活したが、自分でデザインしたものを編むまでには行かず。

そのリハビリとして、「こんな糸で編んでみたい」からの作品を編み終えた。

この帽子は、このベレー帽を編むために毛糸を一緒に買った

縫いもので生計を立てている友人の元に行くことになっている。

彼女とこの毛糸を買ったのは、2014年12月31日。

急に会うことが決まり、お昼ごはんを一緒に食べた。

手を動かすことの楽しさを語りながら食べたとんかつとシャンパンは、

今でも記憶に残っており、昨年を締めくくるのにふさわしい昼ごはんだった。

別れ際に来年、つまり今年はどんな年にしたいか?とお互い語り合った。

私はその質問に対し、こんな風に答えたと覚えている。

「海の底で沈んでいたけれど、もがきながら、海面の光を求めて上へ上へと泳いでいくイメージ。

最後にはその光を掴むために海面から顔を出し、新しい世界をみている」と。

それは朔日冬至にわが家にやってきた写真にとてもよく似た答えだった。

青を基調に、横たわる女の人と、水面、そしてそこを照らす黄金の光。

私はその作品にとても強い聖性を感じ、買い求めたのだった。

あれから10ヶ月が過ぎ去り、今年も残すところあと2ヶ月あまりとなった。

さて、私は彼女に話したように、海面を目指し、泳ぎ続けているのだろうか?

途中でもがき苦しんでいるのだろうか?

そして、海面の、その先にある光をつかめるのか?

その答えは神だけが知っている。