紅玉のジャム

dsc_4751

2015年10月24日のてしごと、「紅玉のジャム」。

今年もりんごのシーズンがやってきた。

毎シーズン私は、年内は紅玉、年明けはふじを使って、

てしごと、といってもジャムだけだが、をしている。

毎シーズンは他のものにもチャレンジしたいと思っているのだが、

果たしてジャム作りの楽しさを超えるものがあるのだろうか?と

なかなかそのラインを飛び越えられない。

ただ飛び越えられないと枠にはめてしまっているのは私自身なので、

飛び越えたいと思っているのなら、やはり飛び越えるべきだし、飛び越えられると思っている。

これは今シーズンこのラインを飛び越えることは、私の課題となっているのかもしれない。

と、ここまで書いていてなんなのだが、

やはり今シーズン初のりんごを扱うてしごとは、

ジャムを作ることを迷わず選択した。

紅玉はふじに比べ水分が多いため、煮る時間が短く済むので、気軽に扱えるのがいい。

また紅玉だけがもつ酸味は野性味にあふれていて、

私を引きつけてやまない。

そして皮の色。

紅玉でジャムを作る時は必ず皮を入れて煮詰め、

ほのかな赤色を着色する。

これは私の中の決まりごとであって、

例えば皮を入れないというラインを飛び越えることは、

おそらくないだろう。

変えられないものを受け入れることと変えられるものを変えることと。

この二つのことのバランスをうまくとりながら、

私はこれからもてしごとと付き合っていくのだ、と思う。

dsc_4747

マルメロのジャム

  dsc_4738

2015年10月13日のてしごと、「マルメロのジャム」。

10月の初めの僅かな間出回るマルメロ、見つけると必ず購入してしまうのは一体何故なのだろうか?

説明書きによると、マルメロは生では食べられず、加熱してようやく口に入れることができる。

そうしてまで食べたいという気持ちは一体どこから湧き上がってくるのだろうか?

dsc_4721

おがくずがついたような表皮、フォルムはまるで洋梨のよう。

包丁をいれるが、ものすごく硬く、上から押し付けるように二つに割ると、

水気のない白い果肉が現れる。

皮をむいて芯をとり、イチョウ形に切る。

切れ味はまるでりんごのよう。

dsc_4728

とろみをつけるため、まずは芯を煮る。

煮汁の匂いは、どこかで嗅いだことがあるが、洋梨でもりんごでもない。

あぁ、栗だ、茹で上がった栗の匂いのよう。

けれども出来上がったジャムは、

洋梨でもなく、りんごでもなく、もちろん栗でもない。

やはりマルメロのジャムなのだ。

思っていたよりかたいできあがりになってしまったので、

ホットケーキやパウンドケーキのフィリングとして食べようと思う。

そういえば、友人たちにマルメロの絵を描き続けた画家の話『マルメロの陽光』という映画を教えてもらった。

監督は『ミツバチのささやき』のヴィクトル・エリセ。

機会があったら観てみようと思う。

もしかしたらその映画の中に、私がマルメロに惹かれる理由が

ひっそりと隠されているかもしれない。

甘夏のパウンドケーキ

dsc_4724

2015年10月10日のてしごと、「甘夏のパウンドケーキ」。

次の日からお世話になるおうちへのプレゼントにと、

パウンドケーキを久しぶりに焼いた。

あまりにも久しぶりに焼いたせいか、

手際が悪すぎて無駄な動きが多く、

いままでならスムーズにできていたところで、

なぜそこで?というところでつまづき、

あぁ、何をやっているのだろうと思ったことが多々あった。

唯一の救いは、味に響くことがなかったことか……。

不器用な私は、何事もやり続けることでしか上達できない。

作り続けること、書き続けること、そして撮り続けること。

いつの日か私がやり続けたことが溶け合って、

何かしらの形になればいいと思う。

幸いなことに長く続けることは得意だし、

うまくなりたいという気持ちがある。

そのために今の私にできることといったら、

やはりやり続けることしかないのだ。

ただひたすらにそう信じ、

五感を目一杯働かせ、

手を動かし続けよう。

つま先から編む靴下

dsc_4713

2015年10月3日のてしごと、「つま先から編む靴下」。

この4月ごろから編み物熱がぱたっと切れた……。

昨年は編み物がとても楽しくて、

これを編もう、あれが編みたいと、

毛糸を購入したり、本を眺めてアイデアをもらったりと編み物三昧だったのに、

その熱がふつりと切れた。

編み物をする気分じゃないというより、編み物に対する熱意がなくなったのだと思う。

あれほど熱意を注いでいたものがぱたっと途切れるってこういうことかぁと、

どこかしら他人行儀な視線が私自身を見つめていた。

そんな私の編み物熱が戻ってきたのは8月末。

晩夏とは思えないほどの涼しさに、そろそろ編みたいなぁという気持ちが、

むくむくと湧き上がってきた。

新しいものを編むのもいいが、まずは編みかけをなんとかしようと、

再び編み始めたのがこの「つま先から編む靴下」。

2つ目のかかとまではすでに編みあがっていたので、

あとは増やし目をいれながらハイソックスに仕立てていく。

会社の昼休み、お昼ご飯を食べたあと、ただただ無心に編む。

思っている以上に編む速度が速い。そして心が無心になっていく。

そうか、ここ最近私の暮らしに足りなかったものはこれだったのか。

取り戻した大切な時間、またここから大切に育んでいきたい。

レモンのマーマレード

dsc_4683

2015年9月19日のてしごと、「レモンのマーマレード」。

国産レモン(緑)が出回り始めたので早速作ってみた。

レモンに限らず、私にとってのマーマレード作りの醍醐味は、

煮詰め終わって味をなじませるために冷ますと、ぷるんとゆるく固まる。

その状態をへらでぐちゃぐちゃに崩すこと、それに限る。

たまに心の奥底から湧き上がってくる、

わざと壊してめちゃくちゃにしたくなる衝動を、暴力性を、残虐性を、

出来上がったばかりのマーマレードにぶつける。

瓶には固まった状態のまま入れられるわけはないので、

結果としては崩すのだが、ぐちゃぐちゃにする必要はとりわけない。

かといって、ぐちゃぐちゃにしたても味が変わるわけでもない。

ただただぐちゃぐちゃにしたいという思いにかられ、

その思いにあらがえなくてやっているだけのことなのだ。

そして、そこからわかることといったら、

私の中に、私自身が理解しがたい闇が存在すること、

ただそれだけ。

 

黒糖バナナマフィン

dsc_4670

2015年9月12日のてしごと、「黒糖バナナマフィン」。

いつもはくるみを入れるのだが、

あいにくうちにあるのは4種類のナッツが一緒に入った袋のみ。

くるみ、アーモンド、マカダミア、カシューナッツ。

4種類のナッツを使ってしまうと、

焼き上がりが華やかになってしまうので、

素朴な味を味わいたい私としては、ちょっと違い、使いたくない。

そこからくるみだけを抜き出して焼くのもありなのだが、

なんだかめんどくさくてやる気にならない。

こういうときに便利なのが全粒粉だ。

焼き上がりがぽろぽろと多少崩れやすくなるが、

小麦粉本来がもつ香ばしさがぐっと前面に出てくる。

くるみの食感は残念ながら真似できないが、

素朴さを味わいたいのならこれで十分。

食べる直前にトースターで温めて、

マフィンの中に溜まったバナナの水分を外に出す。

バターをたっぷりつけて、さぁ、食べよう。

dsc_4675

ぶどうジャム

dsc_4634

2015年9月5日のてしごと、「ぶどうジャム」。

「好きな果物はなに?」と聞かれたら、

私は迷わず「ぶどう」と答えるだろう。

それは子どもの頃から変わらない。

デラウェアでも巨峰でも、マスカットでもチリ産のぶどうでも、

ぶどうというものに目がなく、食べていいといいと言われれば、一房は今でもペロリと余裕でいける。

この果物の何にそんなに惹きつけられるのかわからないけれども、

皮の近くの渋さと果肉の甘み、水気、食感、小さな種、食べる時のなんとも言えない煩わしさ。

指先が紫色に染まるところまでも愛おしい。

9月に入るとベリーAという品種が出てくる。

私は毎年その品種が出るとジャムに仕立てる。

理由は単純、値段が手頃だからだ、ただそれに限る。

夜中、身を半分に切り、種を取り除いたあと、鍋に入れ適量の砂糖をふりかける。

置くこと一晩、砂糖が溶け、たっぷりの水分が出てくる。

その水分を使って、身をヘラでつぶしながら煮詰めていく。

皮ごと煮詰めているので、心持ち緩めのところで火を止め、レモン汁をかけて出来上がり。

ヨーグルトにかけて食べるのも美味しいが、

一番はレアチーズケーキに添えて食べるに限ると私の頭のどこかが指令を出す。

それは頭のどこかでワインとチーズの組み合わせを思い描いているからにちがいない。

dsc_4664

かぼちゃとナッツのマフィン

【きょうもていねいに。】かぼちゃとナッツのマフィン

2015年9月5日のてしごと、「かぼちゃとナッツのマフィン」。
先週以来、土曜日のお昼ご飯にマフィンを焼いているが、
焼いてみたくて焼いたではなく、
お昼ご飯何食べよう?と冷蔵庫を眺めていると何もなく、
買い物に行かずに作れるものといったら焼き菓子しか思い浮かばない……。
かぼちゃを選んだのも冷蔵庫にあったかぼちゃをそろそろ使わないとだめだなと思ったからだし、
ナッツにしたのも貯蔵庫にあったくるみの量があまりにも少なかったから。
私のてしごとは毎度のことながらこんなものだ。
特別なことは全くといっていいほどないし、
だからこそ今までも、そしてこれからも続けていけるのだと思う。
いずれにせよ、この分量で作ったのは初めてのことなので、
忘れないうちにノートに何かしらのメモを残しておきなさい、
それだけは忘れずにしなさいと、
脳が身体に指令を出している。

View On WordPress

かぼちゃとナッツのマフィン

dsc_4627

2015年9月5日のてしごと、「かぼちゃとナッツのマフィン」。

先週以来、土曜日のお昼ご飯にマフィンを焼いているが、

焼いてみたくて焼いたではなく、

お昼ご飯何食べよう?と冷蔵庫を眺めていると何もなく、

買い物に行かずに作れるものといったら焼き菓子しか思い浮かばない……。

かぼちゃを選んだのも冷蔵庫にあったかぼちゃをそろそろ使わないとだめだなと思ったからだし、

ナッツにしたのも貯蔵庫にあったくるみの量があまりにも少なかったから。

私のてしごとは毎度のことながらこんなものだ。

特別なことは全くといっていいほどないし、

だからこそ今までも、そしてこれからも続けていけるのだと思う。

いずれにせよ、この分量で作ったのは初めてのことなので、

忘れないうちにノートに何かしらのメモを残しておきなさい、

それだけは忘れずにしなさいと、

脳が身体に指令を出している。

dsc_4632

黒糖バナナマフィン

dsc_4612

2015年8月29日のてしごと、「黒糖バナナマフィン」。

ここ数日涼しくなったせいか、

バナナが熟すのに日数がかかるようになった。

黒い黒点ができるのをただひたすら待つ。

まだかな?まだだな。

そんな押し問答を何日も一人繰り返し、

ここぞというタイミングでバナナを使った何かを作る。

この日の気分はマフィン。

焼きたてのふわふわをお昼ご飯に食べたくて。

そしてそういうことができることが、

私にとって幸せなことなのだと思う。