梅ジャム

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2015年6月15日のてしごと、「梅ジャム」。

先日、一緒にキャンプに行った旧友が、小鹿野で小梅を購入する私を見て、

「吉澤さん、梅しごとするのかぁ。なら会社でなった梅を送ればよかったな」と

しきりにつぶやいていた。

会社で梅ってなるんだなぁとその時は漠然とただひたすら私は感心していた。

その彼から数日後、メッセージが届いた。「梅、いる?」

小梅を購入した時はあんなに悩んでいたのに、今回は全く悩むことなく「いる!」と答えた。

次の日、梅が届いた。中には「完成品のプレゼントをお待ちしています」とのメッセージ付き。

そっかぁ、梅を送ってもらって、その人にあったものを作って、後日送るというナリワイも

もしかしたら成り立つのではないかと思ってしまった。

彼から届いた梅は、大粒のもの、小粒のもの、合わせて4キロ。色もまちまち。

まず大粒の青梅は、来年のこのメンバーでの新年会用にブランデー&氷砂糖の梅酒に仕立てた。

残りの大粒のものは追熟させてから、彼へ送る梅干しに。今は梅酢に浸り、梅雨明けをのんびりと待っている。

小粒のものも同じく追熟させてから、梅ジャムに仕上げた。

芳醇な香りが瓶を開けるたびに香り立つ、たまらない。

ジャムとして食べるのもよし、味噌と混ぜて梅味噌にするのもあり。

甘味を取るか、酸味を取るか。

そんな選択肢がある梅ジャムは、やっぱり作らずにはいられないジャムの一つだ。

小梅の塩漬け

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 2015年6月8日のてしごと、「小梅の塩漬け」。

この前の週末、友人たちと群馬県上野村にキャンプに行った。

その途中で立ち寄った秩父・小鹿野の産直で小梅が売っていた。

ビニール袋の中から甘い甘い梅の匂いが立ち込めていて、

買い物の最中、うっとりとその匂いを嗅いでいた。

離れては戻り、戻っては離れとその小梅の前を何往復したことか。

その週の初めに梅を5キロ注文したばっかりで、

今シーズンはもう梅は必要はないよなぁと心の片隅で思っていて、

なかなか買う決心がつかなかった。

しかし、店を去る直前になってもこの梅の匂いから離れることはできず、

宿に冷蔵庫があることを確認し、なんとか持ち帰る目処が立ったので購入を決めた。

何を作るかはあとで考えればいい。まずは買って帰ろうと。

その上、宿を去る際に面倒見のよい友人が帰りも梅を傷めず持ち帰られるように、

保冷剤をたっぷりいれた保存ボックスを用意してくれていて、無事にうちに持って帰ることができた。

感謝。

うちに帰るとすぐに、どんな梅しごとにしようかなぁとレシピを探していたら、

ちょうどこの「小梅の塩漬け」のレシピが見つかり、早速チャレンジしてみた。

基本は梅干しと同じ、ただし干さない。

どんな味に仕上がったのだろうかと思い、梅酢が上がった直後を一つ試しに食べてみた。

ちゃんと漬かってはいたが、まだ塩が立っていて、つんつんと味がとんがっていたが、

これはこれでありだ、うん。

身が小ぶりなのにもかかわらず、

食べた時、顔の真ん中にパーツがよる酸っぱさは変わらない。

けれども干してないため、身が凝縮されておらず、

フレッシュな美味しさは何粒でもいけてしまう。

酸っぱい、美味しい、酸っぱい、美味しいの繰り返し。

塩と馴染んだら一体どんな味になるのだろう?

出来上がりが楽しみな梅しごととなった。

バナナとくるみのマフィン

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2015年6月1日のてしごと、「バナナとくるみのマフィン」。

私事で申し訳ないのですが、6月1日付で部署異動があり、

この日から仕事を引き継ぎつつ、引き継がれつつの日々。

頭だけが妙に重く変な疲れ方をしている。

身体は全然動けるのに、思考だけがぷつんと途切れて、あまりバランスがよろしくない。

こういうときは無理に身体を動かして疲れさせるのがベストなのだけど、なぜだかその気も起きない。

このまま引きずって明日を迎えるのはだけは絶対避けたい。

それなら、せめて手を動かそうと思って作ったのがこのマフィンだ。

手を動かすと心が落ち着くのは、

目の前にあるものとだけ対峙すればいい時間だからなのだと思う。

うちにうちにと自分の意識を好きなだけ内面に向けられる時間だからなのだと思う。

それは孤独を味わうということ。

私はその味わいを愛してやまない。

いちごジャム

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2015年5月31日のてしごと、「いちごジャム」。

前日、母から電話がかかってきた。

「いちごを買っておいたから、都合のいいときに取りにいらっしゃい。」

ありがとうと素直に喜ぼうと思ったのだが、

いや、待てよ、何かが違うと心のどこかでブレーキがかかった。

ん?昨シーズンもこんなことがあったよなぁ。

えっ、なんだっけ、なんだっけ?

あれ、これはもしかして、もしかしたら……。

ある瞬間、ピンっ!ときた。

そうだ、母がいう「いちごを買っておいたから」は、

このいちごでジャムを作って持ってきてねという意味だったのだ。

あぁ、なんてわかりやすい人なのだろう。

私はこの母の単純さを愛してやまない。

そして、母の策略にまんまとはまり、

いちごジャムを作るためにせっせと手を動かしている私もやっぱり単純で、

なんだかんだいっても、この人の血を引いているのだなと思えてならなかった。

甘夏のマーマレード

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2015年5月30日のてしごと、「甘夏のマーマレード」。

なんとなく柔らかめのマーマレードに仕上げたくて、

作り方を「レモンのマーマレード」と同じようにしてみる。

まずは果汁を絞る。

その後、皮はわたを取らずに細かく刻み、コトコトと水で柔らかく煮る。

最後に柔らかくなった皮と果汁、皮を煮た煮汁に砂糖を加えて、

とろりとするまで煮詰める。

私が作る甘夏のマーマレードといえば、

房と皮がまとわりつくような煮詰まった硬い感じのものが多いけれど、

房がなく果汁味あふれる柔らかいマーマレードもありだと思う。

私の作りたい味を、食べたい味を、適した方法で作る。

それがテクニックであり、

テクニックを学ぶためにレシピがある。

技が増えれば増えるほど、

直感が持つ可能性はどんどん拡がっていくのではないかと思う。

ここ最近の私はこんな風に考えている。

グラノーラ

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2015年5月28日のてしごと、「グラノーラ」。

先日父が作ったグラノーラをもらい、なんだか私も久しぶりに作ってみたくなって、手を動かした。

急に作ろうと思い立ったので、材料はうちにあるものだけで作ることにする。

オーツ麦、ライ麦、くるみ、アーモンド、マカダミアナッツ、カシューナッツにレーズンとイチジク。

甘みはさらっと仕上げたいためメープルシロップを使う。

果物はいつもより少ないし、シード類は入っていない。

けれども、これはこれで私の味、ほっとする。

久しぶりにグラノーラを作って感じたこと、

それは私にとってグラノーラは自由だということ。

確かに毎回同じ手順をふむ。

けれども中に入れる具は、その時、その時の気分で変わっていく。

うちにあるものを、食べたいものを、入れたいものを。

これを入れなくては、グラノーラじゃないということは全くない。

思うがままに、欲するがままに、心のままに作り上げていく。

それが私にとってのグラノーラ、作り上げる時間はやっぱり楽しい。

バジルペースト

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2015年5月24日のてしごと、「バジルペースト」。

昨シーズン初めて作ってみたのだが、いろいろな料理に使えてとても便利だった。

パンにのせたり、パスタに和えたり。

魚と焼いたり、野菜に和えたり。

が、いかんせん、我が家にバジルの苗がやってきたのが7月中旬、

植え替えるのもなんだか億劫で、苗鉢のまま育て、大きくなったら葉を収穫していた。

そんな感じだったので、作る回数や一度に作る量がわずかしかなく、

あぁ、もっといっぱい味わいたいなと心の中にもやっとしたものが残ったままシーズンを終えた。

今シーズンは昨シーズンの想いを受け、

きちんと育てて、もっとたくさんバジルペーストを作ろうと、4月下旬にバジルの苗を購入した。

すぐにプランターに植え替え、肥料を与え、水を与えた。

するとあっという間にバジルは大きくなり、知らずしらずのうちに花芽をつけていた。

花芽!昨シーズンは見ることさえなかった‼︎

ここは一度、葉を摘み取り、脇芽を育てていかないとと思い、初収穫を行った。

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1枚1枚手で葉を摘み取り、これでちょうど100グラム。

部屋に、手に、バジルの香りがまとわりつく。

芳しい香り、指と爪の間のに残った匂いを嗅ぎながら、ペーストを作り上げる。

嗅覚からの刺激はたまらないほどに強烈だ。

いい匂いと幾度となくひとりごちる。

そして、ひとりごちたいがために、私は今シーズン、

幾度となくこのペーストを作り続けるだろう。

オートミールクッキー

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2015年5月23日のてしごと、「オートミールクッキー」。

ドロップクッキーを焼くとき、一番楽しい作業は天板に生地を落とす時だ。

いつ食べようか、誰とたべようか、どこで食べようか、何と一緒に食べようか……。

朝食代わりにしたいのなら少し大きめに、

お酒と一緒に楽しみたいのなら少し小さめに。

プレゼントにするのならみんなの手に渡るように、

外で食べるのなら誰もが食べやすい大きさに。

そんなことを考えながら天板に生地を落とすと、自然に大きさが決まってくる。

焼き上がりの、食べるときの、

そう、少し先の今によりそっててしごとをする。

それは私だけのために作るのではなく、

私とともに在る誰かのために作ること。

そういう機会があることは、とても素敵なこと。

心からそう思う。

バナナマフィン

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2015年5月19日のてしごと、「バナナマフィン」。

先週購入したバナナがいい感じに熟してきた。

これ以上置くと熟れすぎてしまうから何か作らないと!

バナナを使ったお菓子の私の定番「バナナブレッド」はつい最近作ったばっかりなので、

できれば違うものがいいなと思い、バナナマフィンを作った。

ちょっと硬めの食感が欲しいからやっぱりくるみを入れようかなと思いつつも、

それでは「バナナブレッド」と同じになってしまうので、私にとってはあまり新鮮味がない。

何かいいものはないかなとうちの中を見渡してみると。

GW中うちに泊まっていた友人から宿代として(笑)いただいたカカオフレークがあった。

カカオフレーク。苦味はあるが、食感はくるみより硬く、細かい。

けれども私の思い描いているマフィンが焼きあがるのではないのだろうか?と適量を生地の中に入れた。

この適量を決めるのは難しいけれども、

これくらいはどうだろう?という量は、私の感覚が知らず知らずのうちにわかっているはず。

そして、この食感を最大限楽しむために、バナナはかなり粗めに潰す。

柔らかさの中に、ピンと引き立つ苦味のアクセント。

今私が食べたい「バナナマフィン」はこうやって作り上げられる。

そしてこの作り上げる工程こそが、私がてしごとを愛してやまない理由の一つなのだと思う。

花開く時を待ちながら。

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花を買う時、できるだけ蕾のものを選ぶようにしている。

花開いているものも確かに綺麗だし美しい。

何より一気に家の中が華やぐ。

けれども私は、花がだんだん開きつつある姿を、

毎日変化する形を眺めたいと思っている。

たとえそれが盛りを過ぎ、枯れゆく姿であっても、

その気持ちに変わりはない。

たとえ短い時間であっても、私に寄り添ってくれたもの。

その一つ一つを大切にして暮らしていきたい。