夏野菜のピクルス

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2015年6月29日のてしごと、「夏野菜のピクルス」。

暑くむしむししてくると、なぜだか無性に酸っぱいものが食べたくなる。

その結果、夏の間冷蔵庫にはいつもこのピクルスが常備されるようになって早数年となる。

アスパラガスの緑、プチトマトの赤、そしてエリンギの白。

イタリアンカラーに食欲をそそられたいのか、

たまたま好きな野菜を入れているからなのか、

もしくはこれ以上の組み合わせが見つけられないのか、

ピクルス液に漬ける野菜を変えたことはない。

そんな我が家の定番とともに、

今宵もアルコールを夜風に当たりながら楽しむことにする。

梅シロップ

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2015年6月24日のてしごと、「梅シロップ」。

今シーズン、梅シロップ1本、梅酒2本、そして梅干し2キロの梅しごとをしようと思い、梅を5Kg注文した。

梅シロップで1Kg、梅酒2本2Kgを使い、最後に追熟した梅2Kgを梅干しに仕立てようと、

なり口を取り始めたところで、はたと気づいた。

なんだか2Kgもないような気がする……。

重さを測ってみると1.5Kg、500g足りなかった。

その旨だけを伝えようと注文先に連絡したら、

500gではなんだからとご好意で3Kgの梅を追加で送ってくださり、

ありがたく頂戴することにした。

いただいた梅をどう扱おうかなぁと悩む間もなく、

1Kgは梅シロップ、1Kgは梅酒、残り500gずつで梅ジャムと梅味噌という梅しごとを行った。

梅しごとを初めて初のシーズン2本目の梅シロップなのだから、

砂糖の種類を変えればいいのにと思うのだが、

なぜか迷うことなくいつもと同じように仕上げた。

きっとこの作り方で作る梅シロップが私の暮らしの中で定番として根付いていて、

これ以外の作り方をやりたくないのだと思う。

そういうてしごとがあってもいいのかもしれない。

写真は今シーズン梅シロップを作ったら、絶対作ろうと決めていた「梅シロップと晩柑のスープ」。

細川亜衣著、在本彌生写真「スープ」からの一品。

晩柑の爽やかさ、梅の酸味、そしてシロップの甘さが絡まりあい、

これを口にいれたら、それ以上何も口に入れたくなくなる味。

愛しい人たちに食べてもらいたい。

梅味噌

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2015年6月24日のてしごと、「梅味噌」。

今シーズンの梅しごとをブログやFBにアップをしていたら、

友人から「梅味噌、美味しいから作ってみて!」とレシピ付きで紹介されたので、

作ってみることにした。

レシピによると梅の種を外すためかなりの時間をかけて煮詰めることが書いてあったが、

ここは梅ジャムの作り方を応用してみた。

一度、梅を水から煮て柔らかくしたあと、

包丁を使って果肉を種から外し、細かく刻んだものを、

味噌、砂糖と混ぜ、へらでかき混ぜながら煮詰めていく。

火を止めるのは、味噌がとろんと鍋に落ちるころ、

このタイムングは梅ジャムとほぼ同じにした。

ゆるすぎず、固すぎず、いい塩梅の梅味噌に仕上がった。

梅500グラムに対し味噌500グラム、かなりの量が出来上がったので、

愛しい人たちにおすそ分けし終わった。

もらっていただけることは、私にとってかけがえのないくらい大切で、幸せなこと、

受け取ってくださったみなさま、いつもどうもありがとう。

今回のように梅ジャムの作り方を応用して作って思うのは、

やはりレシピはテクニックだということ。

作りたいという本能があり、こういう味に仕上げたいという直感がある。

そのためのテクニック。

テクニックがきちんと自分の手にあるからこそ、

思い通りの味に、品に仕上げることができる。

だからこそ私はレシピをテクニックに重きをおいてて、

作り手側が応用できるように書いていけたらいいなと思っている。

黒糖梅ジャム

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2015年6月22日のてしごと、「黒糖梅ジャム」。

ジャムを作れる分だけの砂糖が今うちにあるかしら?と

うちの中を探していたら、

ちょうど黒糖があったので、甘味を黒糖にすることにした。

うちにあるもので作る。

これが私のてしごとの基本ルールだ。

黒糖を入れた瞬間、

黄色くなるまで追熟させた梅の色は全て綺麗に消え去った。

あぁ、もったいないことをしたなぁと黒糖を入れてから後悔した。

あの沖縄紅型でよく見られるような黄色は

やはり梅でしか出せないもの、その色を殺してしまったからだ。

けれども煮詰めていくうちに、

漆黒の中から何かが艶やかに光リ始めた。

こってりとしたなんとも言えない風合いが鍋の中で際立ち始めた。

黒糖と混ざり、馴染むことで、

梅自身が持つ美しさが表面に現れた瞬間だった。

この美しさが見え隠れし始めた時、

私はようやく黒糖で梅ジャムを作ってみてよかったと思えた。

初めて作った黒糖梅ジャムには改善するところがまだまだたくさんある。

それでも私はこのジャムを私のジャムと胸をはっていうことができる。

愛しい人たちに食べてもらいたいなと思う。

そして、このジャムがこれからどんな過程を経て、最終的な味はどうなるのか。

その経過を私自身が楽しんでいきたいと思う。

梅シロップ

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2015年6月12日のてしごと、「梅シロップ」。

8年前、私が初めて行った梅しごとはこの「梅シロップ」。

初めて作った時の味があまりにも新鮮で美味しくて、

それから毎年同じレシピで必ず作っている。

梅シロップを作っている時、なぜか育てているという感覚が沸き起こってくる。

1日2回、朝と晩、梅からでた水分で、

瓶の底に固まってある砂糖をえぐるように瓶を振る。

この部分の砂糖が溶けますようにと、何度も何度も腕の力を振り絞って、繰り返し瓶を振る。

一度は溶ける、けれども次に降る時はまた固まっている。

けれどもその固まる量が少しずつ少しずつ減っていき、

いつしか砂糖は梅に溶け、そして梅シロップが出来上がる。

その過程が、砂糖が溶けきるまでの期間が持つ期待感が

私にとって育てているという感覚に近いのかもしれない。

ここまで楽しく育てた梅シロップだが、1ヶ月程度で飲みきってしまう。

もう少し飲みたいと瓶をのぞいてみるが、残念ながらもう手元に残っていない。

そのため毎シーズン、今年こそ複数本漬けようと思うのだが、なぜか1シーズンに1本で終わる。

それはもしかしたら、今年も1本育てきったという達成感に私自身が満足しているせいかもしれない。

梅ジャム

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2015年6月15日のてしごと、「梅ジャム」。

先日、一緒にキャンプに行った旧友が、小鹿野で小梅を購入する私を見て、

「吉澤さん、梅しごとするのかぁ。なら会社でなった梅を送ればよかったな」と

しきりにつぶやいていた。

会社で梅ってなるんだなぁとその時は漠然とただひたすら私は感心していた。

その彼から数日後、メッセージが届いた。「梅、いる?」

小梅を購入した時はあんなに悩んでいたのに、今回は全く悩むことなく「いる!」と答えた。

次の日、梅が届いた。中には「完成品のプレゼントをお待ちしています」とのメッセージ付き。

そっかぁ、梅を送ってもらって、その人にあったものを作って、後日送るというナリワイも

もしかしたら成り立つのではないかと思ってしまった。

彼から届いた梅は、大粒のもの、小粒のもの、合わせて4キロ。色もまちまち。

まず大粒の青梅は、来年のこのメンバーでの新年会用にブランデー&氷砂糖の梅酒に仕立てた。

残りの大粒のものは追熟させてから、彼へ送る梅干しに。今は梅酢に浸り、梅雨明けをのんびりと待っている。

小粒のものも同じく追熟させてから、梅ジャムに仕上げた。

芳醇な香りが瓶を開けるたびに香り立つ、たまらない。

ジャムとして食べるのもよし、味噌と混ぜて梅味噌にするのもあり。

甘味を取るか、酸味を取るか。

そんな選択肢がある梅ジャムは、やっぱり作らずにはいられないジャムの一つだ。

小梅の塩漬け

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 2015年6月8日のてしごと、「小梅の塩漬け」。

この前の週末、友人たちと群馬県上野村にキャンプに行った。

その途中で立ち寄った秩父・小鹿野の産直で小梅が売っていた。

ビニール袋の中から甘い甘い梅の匂いが立ち込めていて、

買い物の最中、うっとりとその匂いを嗅いでいた。

離れては戻り、戻っては離れとその小梅の前を何往復したことか。

その週の初めに梅を5キロ注文したばっかりで、

今シーズンはもう梅は必要はないよなぁと心の片隅で思っていて、

なかなか買う決心がつかなかった。

しかし、店を去る直前になってもこの梅の匂いから離れることはできず、

宿に冷蔵庫があることを確認し、なんとか持ち帰る目処が立ったので購入を決めた。

何を作るかはあとで考えればいい。まずは買って帰ろうと。

その上、宿を去る際に面倒見のよい友人が帰りも梅を傷めず持ち帰られるように、

保冷剤をたっぷりいれた保存ボックスを用意してくれていて、無事にうちに持って帰ることができた。

感謝。

うちに帰るとすぐに、どんな梅しごとにしようかなぁとレシピを探していたら、

ちょうどこの「小梅の塩漬け」のレシピが見つかり、早速チャレンジしてみた。

基本は梅干しと同じ、ただし干さない。

どんな味に仕上がったのだろうかと思い、梅酢が上がった直後を一つ試しに食べてみた。

ちゃんと漬かってはいたが、まだ塩が立っていて、つんつんと味がとんがっていたが、

これはこれでありだ、うん。

身が小ぶりなのにもかかわらず、

食べた時、顔の真ん中にパーツがよる酸っぱさは変わらない。

けれども干してないため、身が凝縮されておらず、

フレッシュな美味しさは何粒でもいけてしまう。

酸っぱい、美味しい、酸っぱい、美味しいの繰り返し。

塩と馴染んだら一体どんな味になるのだろう?

出来上がりが楽しみな梅しごととなった。

バナナとくるみのマフィン

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2015年6月1日のてしごと、「バナナとくるみのマフィン」。

私事で申し訳ないのですが、6月1日付で部署異動があり、

この日から仕事を引き継ぎつつ、引き継がれつつの日々。

頭だけが妙に重く変な疲れ方をしている。

身体は全然動けるのに、思考だけがぷつんと途切れて、あまりバランスがよろしくない。

こういうときは無理に身体を動かして疲れさせるのがベストなのだけど、なぜだかその気も起きない。

このまま引きずって明日を迎えるのはだけは絶対避けたい。

それなら、せめて手を動かそうと思って作ったのがこのマフィンだ。

手を動かすと心が落ち着くのは、

目の前にあるものとだけ対峙すればいい時間だからなのだと思う。

うちにうちにと自分の意識を好きなだけ内面に向けられる時間だからなのだと思う。

それは孤独を味わうということ。

私はその味わいを愛してやまない。

いちごジャム

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2015年5月31日のてしごと、「いちごジャム」。

前日、母から電話がかかってきた。

「いちごを買っておいたから、都合のいいときに取りにいらっしゃい。」

ありがとうと素直に喜ぼうと思ったのだが、

いや、待てよ、何かが違うと心のどこかでブレーキがかかった。

ん?昨シーズンもこんなことがあったよなぁ。

えっ、なんだっけ、なんだっけ?

あれ、これはもしかして、もしかしたら……。

ある瞬間、ピンっ!ときた。

そうだ、母がいう「いちごを買っておいたから」は、

このいちごでジャムを作って持ってきてねという意味だったのだ。

あぁ、なんてわかりやすい人なのだろう。

私はこの母の単純さを愛してやまない。

そして、母の策略にまんまとはまり、

いちごジャムを作るためにせっせと手を動かしている私もやっぱり単純で、

なんだかんだいっても、この人の血を引いているのだなと思えてならなかった。

甘夏のマーマレード

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2015年5月30日のてしごと、「甘夏のマーマレード」。

なんとなく柔らかめのマーマレードに仕上げたくて、

作り方を「レモンのマーマレード」と同じようにしてみる。

まずは果汁を絞る。

その後、皮はわたを取らずに細かく刻み、コトコトと水で柔らかく煮る。

最後に柔らかくなった皮と果汁、皮を煮た煮汁に砂糖を加えて、

とろりとするまで煮詰める。

私が作る甘夏のマーマレードといえば、

房と皮がまとわりつくような煮詰まった硬い感じのものが多いけれど、

房がなく果汁味あふれる柔らかいマーマレードもありだと思う。

私の作りたい味を、食べたい味を、適した方法で作る。

それがテクニックであり、

テクニックを学ぶためにレシピがある。

技が増えれば増えるほど、

直感が持つ可能性はどんどん拡がっていくのではないかと思う。

ここ最近の私はこんな風に考えている。