つま先から編む靴下

dsc_4713

2015年10月3日のてしごと、「つま先から編む靴下」。

この4月ごろから編み物熱がぱたっと切れた……。

昨年は編み物がとても楽しくて、

これを編もう、あれが編みたいと、

毛糸を購入したり、本を眺めてアイデアをもらったりと編み物三昧だったのに、

その熱がふつりと切れた。

編み物をする気分じゃないというより、編み物に対する熱意がなくなったのだと思う。

あれほど熱意を注いでいたものがぱたっと途切れるってこういうことかぁと、

どこかしら他人行儀な視線が私自身を見つめていた。

そんな私の編み物熱が戻ってきたのは8月末。

晩夏とは思えないほどの涼しさに、そろそろ編みたいなぁという気持ちが、

むくむくと湧き上がってきた。

新しいものを編むのもいいが、まずは編みかけをなんとかしようと、

再び編み始めたのがこの「つま先から編む靴下」。

2つ目のかかとまではすでに編みあがっていたので、

あとは増やし目をいれながらハイソックスに仕立てていく。

会社の昼休み、お昼ご飯を食べたあと、ただただ無心に編む。

思っている以上に編む速度が速い。そして心が無心になっていく。

そうか、ここ最近私の暮らしに足りなかったものはこれだったのか。

取り戻した大切な時間、またここから大切に育んでいきたい。

レモンのマーマレード

dsc_4683

2015年9月19日のてしごと、「レモンのマーマレード」。

国産レモン(緑)が出回り始めたので早速作ってみた。

レモンに限らず、私にとってのマーマレード作りの醍醐味は、

煮詰め終わって味をなじませるために冷ますと、ぷるんとゆるく固まる。

その状態をへらでぐちゃぐちゃに崩すこと、それに限る。

たまに心の奥底から湧き上がってくる、

わざと壊してめちゃくちゃにしたくなる衝動を、暴力性を、残虐性を、

出来上がったばかりのマーマレードにぶつける。

瓶には固まった状態のまま入れられるわけはないので、

結果としては崩すのだが、ぐちゃぐちゃにする必要はとりわけない。

かといって、ぐちゃぐちゃにしたても味が変わるわけでもない。

ただただぐちゃぐちゃにしたいという思いにかられ、

その思いにあらがえなくてやっているだけのことなのだ。

そして、そこからわかることといったら、

私の中に、私自身が理解しがたい闇が存在すること、

ただそれだけ。

 

黒糖バナナマフィン

dsc_4670

2015年9月12日のてしごと、「黒糖バナナマフィン」。

いつもはくるみを入れるのだが、

あいにくうちにあるのは4種類のナッツが一緒に入った袋のみ。

くるみ、アーモンド、マカダミア、カシューナッツ。

4種類のナッツを使ってしまうと、

焼き上がりが華やかになってしまうので、

素朴な味を味わいたい私としては、ちょっと違い、使いたくない。

そこからくるみだけを抜き出して焼くのもありなのだが、

なんだかめんどくさくてやる気にならない。

こういうときに便利なのが全粒粉だ。

焼き上がりがぽろぽろと多少崩れやすくなるが、

小麦粉本来がもつ香ばしさがぐっと前面に出てくる。

くるみの食感は残念ながら真似できないが、

素朴さを味わいたいのならこれで十分。

食べる直前にトースターで温めて、

マフィンの中に溜まったバナナの水分を外に出す。

バターをたっぷりつけて、さぁ、食べよう。

dsc_4675

ぶどうジャム

dsc_4634

2015年9月5日のてしごと、「ぶどうジャム」。

「好きな果物はなに?」と聞かれたら、

私は迷わず「ぶどう」と答えるだろう。

それは子どもの頃から変わらない。

デラウェアでも巨峰でも、マスカットでもチリ産のぶどうでも、

ぶどうというものに目がなく、食べていいといいと言われれば、一房は今でもペロリと余裕でいける。

この果物の何にそんなに惹きつけられるのかわからないけれども、

皮の近くの渋さと果肉の甘み、水気、食感、小さな種、食べる時のなんとも言えない煩わしさ。

指先が紫色に染まるところまでも愛おしい。

9月に入るとベリーAという品種が出てくる。

私は毎年その品種が出るとジャムに仕立てる。

理由は単純、値段が手頃だからだ、ただそれに限る。

夜中、身を半分に切り、種を取り除いたあと、鍋に入れ適量の砂糖をふりかける。

置くこと一晩、砂糖が溶け、たっぷりの水分が出てくる。

その水分を使って、身をヘラでつぶしながら煮詰めていく。

皮ごと煮詰めているので、心持ち緩めのところで火を止め、レモン汁をかけて出来上がり。

ヨーグルトにかけて食べるのも美味しいが、

一番はレアチーズケーキに添えて食べるに限ると私の頭のどこかが指令を出す。

それは頭のどこかでワインとチーズの組み合わせを思い描いているからにちがいない。

dsc_4664

かぼちゃとナッツのマフィン

dsc_4627

2015年9月5日のてしごと、「かぼちゃとナッツのマフィン」。

先週以来、土曜日のお昼ご飯にマフィンを焼いているが、

焼いてみたくて焼いたではなく、

お昼ご飯何食べよう?と冷蔵庫を眺めていると何もなく、

買い物に行かずに作れるものといったら焼き菓子しか思い浮かばない……。

かぼちゃを選んだのも冷蔵庫にあったかぼちゃをそろそろ使わないとだめだなと思ったからだし、

ナッツにしたのも貯蔵庫にあったくるみの量があまりにも少なかったから。

私のてしごとは毎度のことながらこんなものだ。

特別なことは全くといっていいほどないし、

だからこそ今までも、そしてこれからも続けていけるのだと思う。

いずれにせよ、この分量で作ったのは初めてのことなので、

忘れないうちにノートに何かしらのメモを残しておきなさい、

それだけは忘れずにしなさいと、

脳が身体に指令を出している。

dsc_4632

黒糖バナナマフィン

dsc_4612

2015年8月29日のてしごと、「黒糖バナナマフィン」。

ここ数日涼しくなったせいか、

バナナが熟すのに日数がかかるようになった。

黒い黒点ができるのをただひたすら待つ。

まだかな?まだだな。

そんな押し問答を何日も一人繰り返し、

ここぞというタイミングでバナナを使った何かを作る。

この日の気分はマフィン。

焼きたてのふわふわをお昼ご飯に食べたくて。

そしてそういうことができることが、

私にとって幸せなことなのだと思う。

梅干し

dsc_4606

2015年6月13日のてしごと、「梅干し」。

2シーズン目の梅干し、約1ヶ月半かけてようやく完成。

これで今年出来あがる梅しごとは全て終了、

あとは来年に出来あがる梅酒4種類を待つのみ。

ようやくほっと一息つけた。

昨シーズンは塩分18%、顔のパーツが思い切り真ん中に寄ってしまうくらいの酸っぱさだった。

「おばあちゃんの梅干し」、そんな名前が似合うような梅干しだった。

そのまま食べるより、青魚の梅煮など料理に使って食べることが多かった。

今シーズンは塩分13%プラス氷砂糖。

やっぱり梅干しを梅干しとして楽しみたい!

そう思ったのがこの濃度にした一番の理由だ。

おにぎりに入れたい、白いご飯の上に乗せたり。

お茶漬けにするのもいいなぁと妄想は膨らむばかり。

ただし梅干しは今シーズンが2回目、

比較対象が昨シーズンのものしかなく、

とりわけ天日干しの判断が難しかった。

昨シーズンは日を追うごとに白く白く塩が浮き上がっていき、ざらっと硬い出来上がりだった。

けれども今シーズンはそのようなことは全くなく、

表面は太陽の光を浴びてしっとりと硬くなり、中身は弾力がある柔らかさのまま。

こんなのでいいのかしら?ちゃんと乾いたのかしら?と思いつつも3日で天日干しを止め、完成とした。

汗をたくさんかいた夏の朝、試しに一つ食べてみた。

確かに酸っぱい。

が、顔のパーツが真ん中によるまでの酸っぱさはなく、

身体がちょうど欲していた塩分だった。

時間の経過とともに塩は丸くなる。

その時どう感じるか、今から楽しみでならない。

そして、来シーズンは氷砂糖の代わりに蜂蜜を使うのもありかもと、

心は「次」に向かって動き始めている。

黒糖バナナマフィン

dsc_4582

2015年7月14日のてしごと、「黒糖バナナマフィン」。

バナナマフィンを焼く時に使うバナナの量について考えている。

食べる直前にほんの少しトースターを使って温める。

バナナがベタつかない、重くならない。

けれどもきちんとバナナのしっとりさが味わえる。

そのための適量って一体どれくらいなのだろうかと。

多かった、少なかった。

そんなことに一喜一憂しながら、適量を探っていく。

その適量を知りたいがために、何度も何度も焼く。

そしてひょんな拍子で出てくる「ちょうどよい」。

分量をメモしたら、私のバナナマフィンが出来あがる。

杏と桃のジャム

dsc_4563-e1436793014981

2015年7月8日のてしごと、「杏と桃のジャム」。

 昨シーズン、友人から杏と桃でジャムを作るととっても美味しいと教えてもらって初めて作った。

こんな感じかでいけばいいかなと初チャレンジ、ほっぺたが落ちるくらいに美味しかった。

ぺろりと食べ終わり、もうひと瓶作ろうかしらと思った頃には

案の定杏は市場からなくなっていて、お楽しみは今シーズンまで持ち越すこととなった。

1年間待ちわびたジャム、

桃の果汁を1滴も無駄にしないようにと細心の注意を払って鍋に入れる。

こぼさないように、こぼれないようにと、ほんの少しだけ身体に緊張が走る。

この作業が終わるとなんだかほっとする。

そして杏との酸味と桃の甘みが馴染むように煮詰めていく。

ことこと、ことこと。

さてさて、なにと一緒に食べようか。

煮詰めている間、ただただそのことだけを考える。

杏ジャム

dsc_4557

2015年7月5日のてしごと、「杏ジャム」。

季節ならではのものというのはよくできているもので、

梅しごとが一段落すると杏の季節がやってくる。

生の杏が出回る期間は1週間程度ととてつもなく短いので、

取り逃がすことなくその時を捕まえる必要がある。

初めて杏を扱ったのは20代の頃、

母がスーパーで売ってたからといって買ってきたことがきっかけだ。

杏は乾燥したものしか見たことがなく、

生の杏を手に入れることができるのかとものすごく驚いた記憶がある。

その時もジャムに仕立てたのだが、

いかんせん持っているテクニックが少なく、

出来上がるまでにかなりの時間を要したし、幾度となく失敗を重ねた。

おかげさまで、今はテクニックを覚え、コツをつかみ、仕上がりも安定してきた。

けれどもなぜだか杏ジャムを作るとその当時の、拙い私のことを思い出す。

それは杏の持つなんともいえない甘酸っぱい匂いによって、

記憶が呼び覚まされるせいかもしれない。