20160110、由比にて。
最近の旅のお土産はなぜか食材が占める割合が高い。
光、揺れる。
去りゆく季節を惜しむように、
来たるべき季節を待ち望むかのように。
夏でもない、秋でもない。
中途半端な切なさだけが、
ただただそこに在る。
今年の夏は、桃をたくさん食べた。
いつもの夏よりたくさん食べたので、
知らず知らずのうちに桃を上手に剥けるようになった。
好きなモノクロフィルムが見つかった。
写真をもっともっとたくさん撮りたくなった。
暗室に入った。
こんなテーマで写真を撮り続けたいということが見つかった。
街を撮るのが楽しくなってきた。
梅干しが美味しくできた。
味噌がいい感じで熟成されていた。
料理のレシピが増えた。
まだまだたくさんあるけれど、
どれも大切な今年の夏の思い出。
来年はどんな夏を私は過ごすのだろうか?
以前、キャンプ関係の先輩に、
「お前の目線はあれだな、上からじゃなくて、外からだな。」
とことあるごとに言われ続けた。
外から見ているつもりは全くないんだけどなぁと、
なにを言われているのかさっぱりわからなかった。
けれどもここ最近、フィルムが現像から上がってくるたびにいつも思うのは、
私の写真は「静」だということ。
8月に撮った1枚。
喧騒としていて、猥雑で、いろいろな音や言葉、匂い、色が飛び交っている街なのに、
なぜか私が撮ったこの街はそんなことをほとんど感じさせない。
まるで遠くからその場を見るように、俯瞰した事象がそこにある。
「外から目線」、先輩が言い続けたことはあながち嘘ではないのかもしれない。
雰囲気がいいのか、悪いのか。
美味しいのか、美味しくないのか。
そもそも開店しているのか、閉店しているのか……。
昨年の夏からこの喫茶店の前を通るたびに気になっているのだけれど、
一度も入ったことがないし、入る気もない。
けれどもなぜか気になる。
私の暮らしの中にそんなお店、実はたくさんある。
ぼーっと台所から窓の外を眺めていたら、
テーブルに落ちた光、二つ。
あまりにも綺麗だったので、
閉じ込めてしまいたくなり、
消えてなくならいうちにシャッターを切った。
寝室のドアを開けたら、
ふわりとバラが花瓶から飛び出していた。
そんなことも起こるのかと私は感心してしまい、
憎いことをする風よと、ひとりごちた。
去年の夏も今年の夏もこの床屋さんの前を幾度となく通りました。
サインポールは回り続けているのに、
お客さんらしき人はお店の中にはいらっしゃらず。
いつかこのBarberがやっているかどうかわかる日が来るのでしょうか?
知りたいような、知りたくないような。
ただこの佇まいだけはずっとあって欲しいと願うのです。
ふと気づいたら街の灯りを
窓という名のフィルターを通して眺めていた。
車が通るたびに表情が変わる。
終わることのないドキュメンタリー映画を見ているような気分になった。