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髪の毛をばっさり切った。

久しぶりのセシルカット、さっぱりしたというよりもどちらかといえばすっきりした。

おそらく年末年始から髪の毛を切りたくてたまらなくて、そして切るのならセシルカットをしたくって、ようやくその願いが叶ったからかもしれない。

そして髪の毛を切ったら、顔のパーツが妙に気になり始め、お化粧をきちんとしようと思った。今まで髪の毛で隠せていたところがそうもいかなくなり、あらわになったせいだ。絶対そう思う。

そう思ったのだが、持っていた化粧品はほぼ使い終わっていて手元になく、久しぶりに化粧品を購入した。ラメが効いた青と緑のアイシャドウはその中の一つ、春の新色だそうだ。「透明感がでますよ」と試しにつけてくれたお兄さんはそんなことを言ってはいたが、はたして私の化粧の腕前でそんなことができるのだろうか……?日々、鍛錬は続く。

セルフポートレート

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ここ最近、料理の途中過程をフィルムで撮ることにはまっている。

この行為が面白くて、楽しくて、私の心をわしづかみにする。

途中過程の料理は、生々しくて、野生的で、

出来上がった料理とは別の美しさがそこにはあり、

それを残しておきたいのだと思う。

iPhoneでも撮るのだが、

見返した時、その時のことを思い出すことは、フィルムと比べられないくらいわずかだ。

iphoneで撮るのは記録のためで、

フィルムで撮るのは記憶のためなのではないかと、

私自身はそう解釈している。

料理写真はセルフポートレートだと常々思っているのだが、

この途中過程の料理も、

れっきとしたセルフポートレートで、

おそらくこちらの方が素の私なのだと思う。

Opposite

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はっきりした色は強すぎて苦手だ。

まして赤と紫なんて、私の身の回りには全く存在せず、自分からは選ばない色だ。

けれども雨露に濡れたこの花たちはとても可憐で

思わず目を奪われてしまった。

自然が為すこと、それはやはり美しいことなのだと思う。

初期設定

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ある日、カメラのシャッターを切ったら、

設定した記憶が全くないのに、

日付ありモードになっていた。

その上、何枚か撮った記憶があるのに、

カウントが01と表示されていた。

私、なんかやってしまったのかしら?と不安に思ったものの、

何事もなかったかのように日付無しモードに変更し、

フィルムが巻き上がるまで写真を撮り続けた。

カメラに入っていたフィルムは36枚撮り、

それより少なめの枚数のカウントでフィルムは巻き上がったが、

36枚きちんと撮りきれていた。

そして1枚だけ、おそらく初期設定だろう、日付が写りこんでいた。

87年1月16日、私はいったい何をしていたのだろうか?

思い出そうにも思い出せないが、

ただこの風景を見ていなかったことは明らかだ。

手の中に残ったもの、それは……。

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先日、あるギャラリーに行こうと思って最後の曲がり角を曲がったら、

なんとなく違和感があった。

あれ、曲がるところを間違えたかしら?と一瞬思ったけれど、

その先にはちゃんとギャラリーがある。

そう、角に立っていた建物がいつのまにか取り壊されていて、

見える風景が変わっていたのだ。

蔦の絡まるレンガ造りの小さな建物だった。

中に入ったこともなければ、開いているところをみたところもないけれども、

きっとこのお店の中ではいろいろな人が出会い、様々なことがあったのだろう。

嬉しい物語に、悲しい物語に。

たくさんの物語が想像できる素敵な建物だった。

残念ながら建物は無くなってしまったが、写真だけは残っている。

その写真を見ながら私は、物語を紡ぎ続けるのだろう。