セルフポートレート

image-1-275

ここ最近、料理の途中過程をフィルムで撮ることにはまっている。

この行為が面白くて、楽しくて、私の心をわしづかみにする。

途中過程の料理は、生々しくて、野生的で、

出来上がった料理とは別の美しさがそこにはあり、

それを残しておきたいのだと思う。

iPhoneでも撮るのだが、

見返した時、その時のことを思い出すことは、フィルムと比べられないくらいわずかだ。

iphoneで撮るのは記録のためで、

フィルムで撮るのは記憶のためなのではないかと、

私自身はそう解釈している。

料理写真はセルフポートレートだと常々思っているのだが、

この途中過程の料理も、

れっきとしたセルフポートレートで、

おそらくこちらの方が素の私なのだと思う。

外から目線

image-1-231

以前、キャンプ関係の先輩に、

「お前の目線はあれだな、上からじゃなくて、外からだな。」

とことあるごとに言われ続けた。

外から見ているつもりは全くないんだけどなぁと、

なにを言われているのかさっぱりわからなかった。

けれどもここ最近、フィルムが現像から上がってくるたびにいつも思うのは、

私の写真は「静」だということ。

8月に撮った1枚。

喧騒としていて、猥雑で、いろいろな音や言葉、匂い、色が飛び交っている街なのに、

なぜか私が撮ったこの街はそんなことをほとんど感じさせない。

まるで遠くからその場を見るように、俯瞰した事象がそこにある。

「外から目線」、先輩が言い続けたことはあながち嘘ではないのかもしれない。

レモンのマーマレード

dsc_4683

2015年9月19日のてしごと、「レモンのマーマレード」。

国産レモン(緑)が出回り始めたので早速作ってみた。

レモンに限らず、私にとってのマーマレード作りの醍醐味は、

煮詰め終わって味をなじませるために冷ますと、ぷるんとゆるく固まる。

その状態をへらでぐちゃぐちゃに崩すこと、それに限る。

たまに心の奥底から湧き上がってくる、

わざと壊してめちゃくちゃにしたくなる衝動を、暴力性を、残虐性を、

出来上がったばかりのマーマレードにぶつける。

瓶には固まった状態のまま入れられるわけはないので、

結果としては崩すのだが、ぐちゃぐちゃにする必要はとりわけない。

かといって、ぐちゃぐちゃにしたても味が変わるわけでもない。

ただただぐちゃぐちゃにしたいという思いにかられ、

その思いにあらがえなくてやっているだけのことなのだ。

そして、そこからわかることといったら、

私の中に、私自身が理解しがたい闇が存在すること、

ただそれだけ。

 

黒糖バナナマフィン

dsc_4670

2015年9月12日のてしごと、「黒糖バナナマフィン」。

いつもはくるみを入れるのだが、

あいにくうちにあるのは4種類のナッツが一緒に入った袋のみ。

くるみ、アーモンド、マカダミア、カシューナッツ。

4種類のナッツを使ってしまうと、

焼き上がりが華やかになってしまうので、

素朴な味を味わいたい私としては、ちょっと違い、使いたくない。

そこからくるみだけを抜き出して焼くのもありなのだが、

なんだかめんどくさくてやる気にならない。

こういうときに便利なのが全粒粉だ。

焼き上がりがぽろぽろと多少崩れやすくなるが、

小麦粉本来がもつ香ばしさがぐっと前面に出てくる。

くるみの食感は残念ながら真似できないが、

素朴さを味わいたいのならこれで十分。

食べる直前にトースターで温めて、

マフィンの中に溜まったバナナの水分を外に出す。

バターをたっぷりつけて、さぁ、食べよう。

dsc_4675

ぶどうジャム

dsc_4634

2015年9月5日のてしごと、「ぶどうジャム」。

「好きな果物はなに?」と聞かれたら、

私は迷わず「ぶどう」と答えるだろう。

それは子どもの頃から変わらない。

デラウェアでも巨峰でも、マスカットでもチリ産のぶどうでも、

ぶどうというものに目がなく、食べていいといいと言われれば、一房は今でもペロリと余裕でいける。

この果物の何にそんなに惹きつけられるのかわからないけれども、

皮の近くの渋さと果肉の甘み、水気、食感、小さな種、食べる時のなんとも言えない煩わしさ。

指先が紫色に染まるところまでも愛おしい。

9月に入るとベリーAという品種が出てくる。

私は毎年その品種が出るとジャムに仕立てる。

理由は単純、値段が手頃だからだ、ただそれに限る。

夜中、身を半分に切り、種を取り除いたあと、鍋に入れ適量の砂糖をふりかける。

置くこと一晩、砂糖が溶け、たっぷりの水分が出てくる。

その水分を使って、身をヘラでつぶしながら煮詰めていく。

皮ごと煮詰めているので、心持ち緩めのところで火を止め、レモン汁をかけて出来上がり。

ヨーグルトにかけて食べるのも美味しいが、

一番はレアチーズケーキに添えて食べるに限ると私の頭のどこかが指令を出す。

それは頭のどこかでワインとチーズの組み合わせを思い描いているからにちがいない。

dsc_4664

かぼちゃとナッツのマフィン

【きょうもていねいに。】かぼちゃとナッツのマフィン

2015年9月5日のてしごと、「かぼちゃとナッツのマフィン」。
先週以来、土曜日のお昼ご飯にマフィンを焼いているが、
焼いてみたくて焼いたではなく、
お昼ご飯何食べよう?と冷蔵庫を眺めていると何もなく、
買い物に行かずに作れるものといったら焼き菓子しか思い浮かばない……。
かぼちゃを選んだのも冷蔵庫にあったかぼちゃをそろそろ使わないとだめだなと思ったからだし、
ナッツにしたのも貯蔵庫にあったくるみの量があまりにも少なかったから。
私のてしごとは毎度のことながらこんなものだ。
特別なことは全くといっていいほどないし、
だからこそ今までも、そしてこれからも続けていけるのだと思う。
いずれにせよ、この分量で作ったのは初めてのことなので、
忘れないうちにノートに何かしらのメモを残しておきなさい、
それだけは忘れずにしなさいと、
脳が身体に指令を出している。

View On WordPress

かぼちゃとナッツのマフィン

dsc_4627

2015年9月5日のてしごと、「かぼちゃとナッツのマフィン」。

先週以来、土曜日のお昼ご飯にマフィンを焼いているが、

焼いてみたくて焼いたではなく、

お昼ご飯何食べよう?と冷蔵庫を眺めていると何もなく、

買い物に行かずに作れるものといったら焼き菓子しか思い浮かばない……。

かぼちゃを選んだのも冷蔵庫にあったかぼちゃをそろそろ使わないとだめだなと思ったからだし、

ナッツにしたのも貯蔵庫にあったくるみの量があまりにも少なかったから。

私のてしごとは毎度のことながらこんなものだ。

特別なことは全くといっていいほどないし、

だからこそ今までも、そしてこれからも続けていけるのだと思う。

いずれにせよ、この分量で作ったのは初めてのことなので、

忘れないうちにノートに何かしらのメモを残しておきなさい、

それだけは忘れずにしなさいと、

脳が身体に指令を出している。

dsc_4632

黒糖バナナマフィン

dsc_4612

2015年8月29日のてしごと、「黒糖バナナマフィン」。

ここ数日涼しくなったせいか、

バナナが熟すのに日数がかかるようになった。

黒い黒点ができるのをただひたすら待つ。

まだかな?まだだな。

そんな押し問答を何日も一人繰り返し、

ここぞというタイミングでバナナを使った何かを作る。

この日の気分はマフィン。

焼きたてのふわふわをお昼ご飯に食べたくて。

そしてそういうことができることが、

私にとって幸せなことなのだと思う。

気になってはいるものの……。

image-1-188

雰囲気がいいのか、悪いのか。

美味しいのか、美味しくないのか。

そもそも開店しているのか、閉店しているのか……。

昨年の夏からこの喫茶店の前を通るたびに気になっているのだけれど、

一度も入ったことがないし、入る気もない。

けれどもなぜか気になる。

私の暮らしの中にそんなお店、実はたくさんある。

初期設定

【きょうもていねいに。】初期設定

ある日、カメラのシャッターを切ったら、
設定した記憶が全くないのに、
日付ありモードになっていた。
その上、何枚か撮った記憶があるのに、
カウントが01と表示されていた。

私、なんかやってしまったのかしら?と不安に思ったものの、
何事もなかったかのように日付無しモードに変更し、
フィルムが巻き上がるまで写真を撮り続けた。

カメラに入っていたフィルムは36枚撮り、
それより少なめの枚数のカウントでフィルムは巻き上がったが、
36枚きちんと撮りきれていた。
そして1枚だけ、おそらく初期設定だろう、日付が写りこんでいた。

87年1月15日、私はいったい何をしていたのだろうか?
思い出そうにも思い出せないが、
ただこの風景を見ていなかったことは明らかだ。

View On WordPress